愛は何も求めない、犠牲だけが犠牲を求める
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愛は何も求めない。
それは、ただ与え、分かち合うことしかできない。
愛とは、幸せであり、喜びであり、自由であり、恐れのなさであり・・・全てである。
だから、愛は何も求めない。
全てを持つものが、それ以上、一体何を求めるというのだろう?
だが一方、
犠牲は犠牲を求める。
犠牲は、激しい苦痛を伴うので、あなたは自分が犠牲になったと感じる分だけ、相手にもまた、同じだけ犠牲になってもらいたいと願わずにいられなくなる。
少し考えてほしい。
あなただけが苦痛を感じてしまう関係を続けていくことに、あなたはいつまで耐えられるだろうか?
だから、相手もあなたに犠牲を払ってくれないと、あなたはさらに苦しくなり、
「彼が私を愛してくれないのは、私の愛がまだまだ足りないからだわ!」
などと誤解して、ますます犠牲を払うようになる。
つまり、あなたは、ますます自分自身に犠牲と言う名の苦痛を強いることになってしまうのだ。
そして、自分が味わった苦痛の分だけ、やはり相手にも苦痛を求めずにはいられなくなる。
だが、もしも運良くその相手があなたに犠牲を返してくれたところで、あなたは嬉しいと感じるよりも、むしろ「申し訳ない」という気持ちになり、激しい罪悪感に襲われることになるだろう。
忘れてはいけない、犠牲とは苦痛の別名なのだと言うことを。
相手に苦痛を要求しておきながら、あなただけが喜びを得ることなど不可能なのだ。
だからその罪悪感に耐えられなくなったあなたは、相手のためにさらに犠牲を払おうとする。
そしてまた、あなたが払った犠牲の分だけ、あなたは相手に犠牲を求めずにはいられなくなる。
くどいようだが、それはつまり、あなたが感じた苦痛の分だけ、あなたは相手にも苦痛を求めずにはいられなくなる、ということである。
たいていの場合、このようなガマン比べに、あなたか相手かのどちらかが耐えられなくなり、その関係は破綻する。
あなたはその関係が破綻した理由を
「私の愛が足りなかったからだわ・・・」
と思うか、
「いいえ違うわ! 彼の愛が足りなかったのよ!」
と思うが、実際にはどちらの答えも完全に間違っている。
その関係が破綻した本当の理由は、あなたたちが愛と犠牲を混同していたからだ。
ただ、それだけだ。
だから、あなたがどんなに相手に犠牲を払っても、また、相手がどんなにあなたに犠牲を払ってくれたとしても、いずれ必ずその関係は破綻するのだということを覚えておきなさい。
なぜなら、犠牲(苦痛)は決して愛(喜び)に変わることはないからだ。
この地上に生きる99.9パーセントの人たちは、愛と犠牲の違いがわからずに、もがき苦しみ続けている。
残念ながら、その違いについて、一度として考えたことすらない人たちがほとんだ。
そして無邪気にも、いつの日か鉛が金に変わり、ガチョウが白鳥になるような日が来ると本気で信じ込んでいたりもする。
もうそろそろ気づきなさい。
犠牲が愛に変わる日など永遠に来ない、と。
そもそも、
【報われぬ愛】など、ない。
言葉自体が矛盾していることに気づきなさい。
愛とは本来、報い(喜び)そのものだ。
だが、
報われぬ犠牲ならば、ある。
というより、犠牲は常に報われないのだ。
それは苦痛の別名だからである。
喜び(愛)には喜び(愛)が返ってくるが、
苦痛(犠牲)には苦痛(犠牲)が返ってくるだけである。
苦痛(犠牲)を捧げて、喜び(愛)が返ってくることなどありえようか?
鉛はいつまでも鉛であり、
金はいつまでも金なのだ。
また同様に、
ガチョウはいつまでもガチョウであり、
白鳥はいつまでも白鳥なのだ。
だから、もうそろそろ気づきなさい。
犠牲が愛に変わる日など永遠に来ない、と。
もちろん、
【無条件の愛】などというものも、ない。
これも言葉自体が矛盾している。
なぜなら、無条件こそが愛だからだ。
だが、
無条件の犠牲ならば、ある。
それは単に全く無駄な我慢や忍耐のことだ。
同じように、
【特別な愛】などというものも、ない。
これもまた、言葉自体が矛盾している。
幸せであり、喜びであり、自由であり、恐れのなさであり、全てを持つものが・・・どうして特定の何かや誰かを特別に愛するなどということができようか?
それはただ、無限に与え、分かち合うことしかできない。
だが、
【特別な犠牲】ならば、ある。
犠牲とは苦痛であり、それ自体が異質で特殊なものであり、本来は誰にも必要のないものである。
そういう意味で、全ての犠牲は常に特別なものだと言っていい。
よく注意しなさい。
愛は全てなので、それ以外の何ものにもなれないが、犠牲は時として、我慢、忍耐、献身、尽くすこと、優しさ、思いやり、気遣い、恋、特別な思い、そして何よりも「愛」などという一見とても綺麗な言葉で簡単に偽装されてしまう。
だが、どんなにうまく偽装されていても、それは決して愛ではない。
どうしても何かを求めずにいられないというのなら、それは決して愛ではないのだ。
なぜなら、愛は何も求めないからだ。
それは、ただ与え、分かち合うことしかできない。
愛とは、幸せであり、喜びであり、自由であり、恐れのなさであり・・・全てである。
だから愛は何も求めない。
全てを持つものが、それ以上、一体何を求めるというのだろう?
だから今、もしもあなたが不幸せで全く喜びを感じておらず、不自由で恐れおののいているのなら、
そして、まるで全てのものから切り離されて、自分がたった一人ぼっちのような気持ちでいるのなら、
あなたは間違いなく、愛を忘れているのだ。
相手と自分に犠牲(苦痛)を求めるあまり、愛(喜び)が何かをすっかり忘れているのだ。
思い出しなさい。
あなたが愛を忘れても、
愛は決してあなたを忘れてはいない、ということを。
なぜなら、
愛とは、幸せであり、喜びであり、自由であり、恐れのなさであり・・・全てである。
全てであるものが、あなた一人を例外的に忘れたりするだろうか?
だから愛は、本当は、あなたに完全に依存しているのだ。
全てである愛は、あなたなしでは全てとは言えないからだ。
だからあなたなしでは、愛は愛と呼べない。
本当は、あなたこそが愛そのものなのだから。
だから、もうこれ以上、相手と自分にその無意味な苦痛(犠牲)を求めるのをやめなさい。
愛は、決して求めることなく、ただ与え、分かち合うことしかできないのだから。
愛とは、
つまり、
【本当のあなた】とは、
幸せであり、喜びであり、自由であり、恐れのなさであり・・・全てである。
だから、あなたは何も求めてはいけない。
全てであるものが、それ以上、一体何を求めるというのだろう?
求めるのをやめた時、きっとあなたはそれに気づくだろう。
愛は何も求めない。
なぜなら、
それはいつでも、
それ自身として、
完全に、
ここにあるのだから。
いつもそれだけがあり、
それ以外のものなど、
本当はないのだから。
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